
日本ナザレン教団
千葉教会
私たちの教会は「日本ナザレン教団」という
福音主義(プロテスタント)のキリスト教会です。
ようこそ
千葉キリスト教会へ
「ナザレン教会」は、二十世紀はじめの米国ロス・アンジェルスのメソジスト教会から生まれ、「かのナザレ人」とキリストが呼ばれたことに由来しています。
牧師紹介
牧師の森稔です。私は、昭和4年11月3日、関西学院メソジストの森渓川牧師と淑子の長男として生まれ、226事件直後、淀橋区百人町の借家から戸山小学校に入学しました。
2年生の時、新宿教会に引っ越し、6年生の12月8日朝布団の中で日米開戦のラジオニュースを聴いて背筋に冷水を浴びたような緊張感を味わいました。大本営発表が次々に放送され、連戦連勝!
シンガポール陥落まで行ってしまいました。
父の郷里岡山の有漢村に疎開し、県立高梁中学4年に転校、学と勤労動員の夏、終戦。その秋から教室に戻り、半年で卒業させられ、有漢村で「敗戦日本を救うのはキリスト教しかない!」と心定まり、一番近い日本基督教団高梁教会で森下徹造牧師から洗礼を授けられ、神戸神学院に入学。バックストン直系の沢村五郎校長のお世話になりましたが、旧知のエコール宣教師の熱烈なお勧めでナザレン教会の神学生として聖書農学園神学部に転校、1951年春首席で卒業、エコール先生の秘書になり、群馬県の太田教会で戦後キリスト教ブームに乗って伝道牧会初陣を飾り、川崎でレイモンド・シェルホーン軍曹と伝道、1953年4月ボストン留学、人格論哲学、聖書学を学び、パサディナ大学院でナザレン神学の大御所ワイレー博士から組織神学を学んで帰国。旭川開拓伝道、学園教会牧師、
そして千葉教会52年になります。
大いなる神の恵みに妻の旧姓笹尾久代と共に与って参りました。


ナザレン教会の歴史
私たちの教会はプロテスタントのキリスト教会で「日本ナザレン教団」という福音キリスト教会に所属しています。「ナザレン教会」は、十六世紀の宗教改革時代にローマ・カトリック教会から分かれたイギリス国教会の牧師ジョン・ウェスレーという宗教改革者が十八世紀に基礎を築いたメソジスト教会に起源を持っています。十九世紀末から二十世紀はじめにかけて米国ロス・アンジェルスのメソジスト教会で、貧困者やホームレスの人々の世話に取り組み、同時にキリスト教徒らしい生き方を強調する運動をはじめました。やがてこうした活動に賛同する人々が全米各地から集まり、1908年、「Church of the Nazarene(かのナザレ人の教会)」が作られたのです。この名称の由来は、ガリラヤの小村ナザレ出身のイエス・キリストが「ナザレ人」と呼ばれたことにあります。弱い者・小さな者と共におられるイエス・キリストを信じる群れという意味です。
1915年、ステープルス夫妻と喜田川牧師により日本・熊本に最初のナザレン教会が出来ました。
水谷豊主演で映画化された舞台美術家・妹尾河童の自伝的ベストセラー小説「少年H」で主人公が着ていたセーターのHは、ステープルス女史のセーターを真似て作られたそうです。
千葉教会の歴史
森 稔
1968年教団では千葉市に新しく教会の設立を決定しました。木田愛信先生が現在地を見つけ、約115坪を購入しました。
すぐ前が穴川商店街のバス停で、お隣が町のお医者さん。如何にも木田先生らしいチョイスでした。その木田先生が箱根の小涌園でボッブ・ピアス師の通訳をしていて激務に倒れ、学園教会牧師の私が木田先生の代わりに千葉教会建設の責任者に指名され、ナザレ兄弟社と建設に当たることになったのです。
1969年8月、教会建築がほぼ完成し、私が開拓伝道に当たることになり、学園教会は新学部長瀬尾要蔵先生にお願いして、ほとんど完成していた千葉教会に移転、ゼロからの開拓伝道を始めたのです。40歳でした。
日本基督教短期大学の教授は続けていましたので毎日出勤でしたからフルタイムの仕事を2つやっている忙しさでした。正に働き盛りでした。流石に8年程で短大は退職し、千葉教会と成田開拓伝道に集中、1981年成田教会に新卒の土肥牧師夫妻を迎え、千葉教会専任になり、今日に至ります。
学生運動が盛んな時期に始まり、市内牧師会と超教派諸活動に親しく用いられ、千葉刑務所教誨師、房総祈祷会、日本キリスト伝道会、福音学校千葉校、千葉YMCAの育成にも教会をあげて協力できて幸いでした。信徒も国際ギデオン協会、千葉県の文書伝道「恵泉書房」、TV伝道「千葉ライフライン」事務局等で超教派の活動をされています。


集会のご案内
日曜礼拝は11時から行なっております。
マスクを着用して入口でアルコール消毒をしてお入り頂きます。
会堂での礼拝参加者と、その礼拝にオンラインで参加する信徒達によって日曜礼拝を守っています。
礼拝メッセージはYouTubeにアップしますので、YouTubeからもご視聴いただけます。
コロナ禍において、他の集会はオンライン集会などで行なっています。
日曜礼拝:11:00~11:50
子供と親のレインボーの会:月1回オンライン集会(11:45~12:25)
女性会:当番制の聖書研究
月1回教会員への月報や機関紙等を送付
聖歌隊練習:毎週水曜オンライン集会
すべての動画
3月12日 「生まれつきの盲人を癒す」


3月12日 「生まれつきの盲人を癒す」

3月26日 「生きた水の川」

4月2日 「罪深い女を救う」

雑 記 帳
へりくだるイエス 森稔著「恵の一滴」から一部抜粋
マタイ11:25~27のイエスの祈りは、「(福音の真理を)知恵あるものや賢いものには隠して、幼な子のような者にお示しになられました。」素直で信頼に満ちた、純な心の大切さを印象付けられます。祈りは28節から招きの言葉に変わります。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」
イエスはナザレの大工でした。子どもの頃、ヨセフを手伝って教えてもらった大工仕事で家を支え、農耕の道具などもお造りになりました。二頭の牛を繋いで鋤を引かせるための軛もよく作られたと思います。イエスが愛を注いで仕上げた軛は、とても当たりが柔らかで牛も力が出しやすかったことでしょう。体に合わない軛では、ひどい擦り傷になることもあります。こき使われる過酷さに人間性をねじ曲げられ、心が傷ついている「疲れた者、重荷を負う者」に主は呼びかけておられます。
キリストがあなたに、共に軛を負いましょうと招かれたのです。もうあなたはひとりではありません。あなたが疲れ果てて倒れかかる時にも、主が隣でそれを支え、休ませ、新たな力を注いで下さるのです。

雑 記 帳
信徒あかし
コロナ禍にあっても、アルツハイマー型認知症の父の介護に今までどおり通うことができています。リタイヤした夫は家のことをよくやってくれるようになりました。
以前は実家から疲れて戻ると、今日はこうこうこうだったと畳みかけるように話をしてくることが面倒で、うるさいなと感謝の気持ちもありませんでした。そんな私に「お前は夫のために真剣に祈っているのか。夫の淋しさに寄り添っているのか」と主の声が聞こえました。主がいつも共にいて語りかけてくださっていることに感謝します。(K)
「主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしくださいます。」詩編145篇14節
アクセス
千葉駅からモノレールで天台駅下車
モノレール天台駅下車
千葉駅から連絡通路で千葉都市モレレールに乗車、「天台駅」で下車。
千葉駅方面を背にして左手の階段を降りる。
スーパーベルクス稲毛天台店やサイゼリアの道路を隔てて反対側の降り口です。
